ゴム動力 プラ子の日記  〜 第159回 〜

    

12月13日(水) 秋の88祭り 後編

11月11日、秋の88祭りの続きからでしたねっ♪(遅くなりました〜ごめんなさ〜い!)

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そして、ご対面だ。

最初は息をのみ、圧倒されて、ちょっと静かになった。しかし、ひとしきり、倉庫の中で解説を聞いているうちに、だんだん皆さん熱くなってきたらしい。それぞれ大きな88の上に乗ったり、下に潜ったり、部品を取り囲んだりしながら「探検タイム」となった。 私は一歩引いて、その様子を写真に収めた。

なによりもこの質感、触ると不気味なほど冷たく、しかも力づよい。

そして、雨が上がった。らっき〜! すぐに外に引っ張り出し、戦闘位置(?)に。人手は足りてる!でも、重いの。 

ヨイショ、ヨイショ!ヨ〜〜〜イショ!

なんなんだ、このチームワークの良さは・・・ と感心するやら呆れるやら。 私は寒いので大魔神さんのホールの中に隠れたり出たりしながら「モデルグラフィックス」さんが取材をしているのを「プラ子の日記取材班」(自称)として取材している、つもり。。。。(そのくせデジカメを忘れ、この写真は全て携帯で撮影した。取材班としての自覚はないのか!と自分を責めるのだった)


もう皆さん夢中なんだもん。開くところはすべて開けてみる。動くところはすべて動かしてみる。はぁ、今日は男の子だなぁ〜 でも、実際、ドイツ人の仕事は細かいところまで知恵と工夫で満ちあふれていて、説明を聞くと、思わず唸ってしまうことばかりだ。戦争中のせっぱ詰まった状態で、この大きなものを動かすのは、並大抵のことではないだから、知恵も絞りつくしたであろう。88については、パンツアーグラフ誌の第1号がめちゃくちゃ詳しい。またこの実物大の88についても、その後の同誌で取材されている。



↓さて。リロード(更新)して5秒後にペラペラ写真劇場が始まるよ。
   


し〜ん・・・・ よし、なにも起こらない。お隣に見える○○○○○は無事だ。 

やはり砲身は鉛で埋められていた。これなら安心だ。


というわけで、88の砲身には溶かした鉛が詰まっていて、もはや武器としては使えない。
では、なにに使う?・・・模型少年のあこがれ、タミヤのMMシリーズno.17の本物、1分の1がここにあるのである。そして、大西画伯の箱絵までも、なぜか?ここにあるのだ。

P「え!ほんとにやるんですか〜っ!」

M「あたりまえじゃ〜〜〜〜!」

P(やっぱり・・・なんと贅沢なごっこ遊び)

H「はい、みなさん、始めますよ〜」

U「はいはい、これの通りにね〜」 

(といって、箱を皆さんに示すものの、だいたいポーズは頭にはいっているようで、それはそれで私にとっては驚きだった。スリコミ効果、と言えるんじゃ?)


一同「はぁ〜い!」



さて、みなさん、良い場所を確保しましたか〜 はいチーズ

ありゃりゃ、ピンクの兵隊さんは、ママチャリで代用! 大爆笑となった。  ちなみにこのママチャリは海洋堂館長殿のものである。

あまりにも楽しくて、私は笑っちゃって手が震えて写真が上手く取れなかった。

きっと撮影中の気分はこんな感じかな・・・↓↓↓ (同じ書体がパソコンに無くてくやしい!)

 。。。。?あっ! 間違えた、35じゃない!36だ!ごめんなさい


それにしても光っているのは、紙コロさん。まるでフィギュア!そのまんま! この細長いものは、敵との距離を測るものらしい。へ?常識? こりゃまたしつれ〜いたしましたっ!

雨が降り出し、88くんは急いで倉庫に避難。皆でぞうきんを持ち、水を丁寧に拭き取りながら、またいろいろ触る。名残を惜しむように。


海洋堂様のご好意でお食事タイム、そして、解散となったが、(元)少年たちは無事に迷わず帰れただろうか?

青木先生の言葉を借りれば「うちに帰るまでが”秋の88祭り”です!」 

というわけで美味しいたこ焼きも食べたし♪ 大阪に思い残すことは無い・・・いや、まだあるけれど、それはまた・・・別のお話。(森本レオ風)

本日はこのぐらいで。 ではまた!

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