ゴム動力 プラ子の日記  〜 第184回 〜

平成19年 8月01日(水) ・・・そして始動の時

楽しいお話を求めてここを覗いて下さっている方のことを思うと、書こうかどうしようか迷ってしまって・・・でも、やっぱりここでは自分の正直な気持ちを書こうと思います。

アーマーモデリング編集部の尾崎正登さんが、お亡くなりになりました。・・・・・心から、本当に心からご冥福をお祈りし、手を合わせてお見送りをして来ました。

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なぜ始動かといえば、ずっと停まっているから・・・。ずっと心が停まったままなのだ。

お仕事はなんとかそれなりに進めていたつもりだけれど、いつも心が停まっている。楽しいことを書こうとしても、空々しいような気がして何も言えずに7月が終わってしまった。それでも体が動くだけマシだった。現実味がないまま、頭の中ではいつも尾崎さんの死についてどうにか理解しよういろんなことを考えていた。

第2回の東京フリマで、キャッシュバックに当選し、大声で子供の様にバンザイ三唱してくれた無邪気な尾崎さん。私の目の前で「おかあちゃん、やったよぉ!タダになったよぉ!」と奥様にお電話していた尾崎さん。フリマのオークションで、きらきらの衣装を着て、笑わせたりスベったり、絶妙な司会をして下さった、尾崎さん。 ホイールナッツさんの小間ではいつも大きな声を出して楽しませてくれて、ミニフリマでは見事「商品完売」をやってのけた尾崎さん。 フリマの広告に可愛らしいイラストを書いてくれたり、私の似顔絵を描いてくれたり。私にとって、尾崎さんはまるで模型界の浜ちゃん。 (釣りバカ日誌の浜ちゃんです)  皆に好かれ、私もよく笑わせてもらった。しかも模型に関しては実力派だ。

その尾崎さんが、大好きな英国で急にお亡くなりになった、という訃報を沖縄滞在中に聞いた。 唖然呆然・・・

以後、半信半疑のまま、沖縄でのお仕事を済ませ、先日、大船でのお通夜に。

それでもまだ、信じられないような、フワフワしたような気がしていたけれど、私よりもずっと尾崎さんと親しい方々も、まだ信じられない風に立っていた。信じられない、信じたくない・・・。こんなに多くの方が集まったら、「ごめんごめん!」って嬉しそうにここに入ってきそう、皆がそう思い、願っていたと思う。

でも、尾崎さんは横たわったままだった。

翌日の葬儀で最期のお別れとなったときの奥様の悲痛な声、そして奥様をなぐさめる尾崎さんのお母様の優しい声を聞き、たまらなくなり私も声を上げて泣いてしまった。堪えようとしても周りのよく知った方々の泣き顔が目に入るたび、ますます悲しみが込み上げてきた。決定的に尾崎さんとお別れをしなくてはいけないときが来てしまったと分かった。



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この悲しみ、この喪失感は残ってもそれは当たり前のことなのでしょう。尾崎さんのことを忘れる必要など無く、でも、もう会えないことを受け止めながら、私は歩き出さなければ。そうしないと生きている意味がない・・・   と思うしかありません。 

私ですらこんなにも悲しい気持ちなのですから、まだお若くして亡くなられた尾崎さん、残された奥様、息子に先立たれたご両親、私より尾崎さんとずっと長く、ずっと親しかった方々の悲しみの深さはいかばかりか。その事を考え出すと今もぼんやりしてしまいます。それは私が今までに経験したことのないほどの悲しいことですもの、とても察しきれるものではないでしょう。

大船で手を合わせお別れをしたことをきっかけに、始動しようと思います。まずは、ゆっくりと心を始動する、その努力をしようと思います。

田宮模型歴史研究室の助手さんが、尾崎さんの今までのアーマーモデリング誌でのご活躍を一冊一冊めくりながらまとめて下さっています。こういうご供養の仕方もあるんだな、って温かい気持ちになりました。尾崎さんを知る方、知らない方も、ぜひご覧頂ければと思います。こちらからどうぞ

他にも多くの方々が、悲しみの中で、尾崎さんの為に、そして残された方の為に、なにかしなきゃと思っていらっしゃるようです。


こういうとき、つくづく、弱いなぁ、私。 って実感します。 

でも、がんばるよ、尾崎さん!

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