ゴム動力 プラ子の日記  〜 細々第3回め 〜
平成16年

10月27日(水) 曇り空


こんにちは、ゴム動力 プラ子です。 (カプラ子ではありません)

痩せようと思って会社まで歩いて来ました。初回は1時間、今日は45分で到着です。初回は歩いてきたことをすっかり忘れて残業、夜遅く帰ろうとしたときに車が無いことに気づき、暗〜い道をトボトボ歩いて帰りました。初回というのは何かとトラブル付きものですねぇ。フリマも初回です。あ〜〜、心配だ。

だんだんアイディアが、ちゃんとした企画に変貌しつつあります。主催者企画イベントのターゲットはズバリ「大人の」モデラー。いまこれを会社のパソコンでこっそり読んでいるそこのあなたっ!そう、あなたのことです。 プラモデルを大人的に仕上げる高レベルな技術をフリマ会場でゲットしてしまい、「あぁ・・・作りたいっ!」。いても立ってもいられず、あなたはその場でプラモを買ってしまうのです。買ってしまうのです。買ってしまうのです・・・。(催眠術か?) 企画の段階なのでまだ発表できませんが、プラ子奮闘中につき、しばしお待ちを。

ところで、貴方の一番好きな模型はなんですか? 

世界初のプラモデルは1939年に英国のエアフィックス社が作ったそうです(ね?)。私は今から15年ぐらい前にその英国で数年間生活したことがあるんです。そのころ今のようにインターネットがあれば、気絶するほどの高い国際電話代を払わなくてもよかったんでしょうが、当時、私は幼子を抱えた妊婦さん(つわりのときに気分転換にラジコンカーを3台組み立てました)でありまして、不安だったのかよく日本に電話を掛けていました。それを見かねた知人が、(英語で)「日本語を学びたい女性がいるから自宅で英語と日本語の交換授業でもしたらどうだい?」と勧めてくれて知り合ったのが、オペラ楽団でバイオリニストをしていたロレッタです。最初は緊張していましたけど、次第にうち解け、ある瞬間にピピピと心が通って、以来、親友となりました。(そうなるまでには割と時間が掛かりましたけどね)

彼女は私よりずっと年上で、彼女の旦那さんはその彼女よりまたまたずっと年上の元軍人さん。物静かで上品な白髪の紳士です。彼女が忙しいときは、彼がうちに来て濃いミルクティーを飲みながらの英語のレッスンをしてくれました。といっても、彼の思い出話ですけど、私はそれがとても楽しみでね・・・。

ろーんぐろーんぐ、たいまごぉ〜、(以下日本語)あるアイルランドの小さな村に飛行機好きの男の子がおりました。クリスマスになると毎年村ではクイズ大会が開かれます。一等になったら、赤い飛行機に乗せてもらい村の上を旋回できるのです。その男の子は、サンタも乗るというその赤い飛行機に乗りたくて乗りたくて、毎回クイズ大会に出て、ついに一等を取りました。

ずっと憧れていた赤い飛行機に乗せてもらい村に差し掛かると、緑の丘を駆ける仲間たちと、その横を通り過ぎる飛行機の陰が見えました。(あっちの芝生は冬でも緑なんだよね) このままどこまでも飛んで行きたいと願わずにいられませんでした。そして、少年は本当のパイロットになりましたが、大きな戦争も始まってしまいました。

いろんなことがあったあと、彼は宗教の違う女性と結婚するために宗教を捨て故郷を捨て、家族も捨てました。でも後悔はしていない。今は庭の手入れをしながら静かに、そして幸せに暮らしている、それが・・・僕だよ。

そういって、ニッコリ笑った、その数ヶ月後に彼は病気で亡くなりました。

お葬式は宗教のない彼のために、ロレッタの音楽仲間たちの弦楽重奏による音楽葬となりました。高いホールの天井を弦楽の美しい音色とともに彼がどこか清らかなところに昇っていくような気がしました。私は大泣きしながら同時にその音色に癒されていたと思います。

以来、私は赤い飛行機をみると、胸がきゅ〜っとなるのです。しかもなぜかプラモのほうが。情景まで箱に書いてあるからでしょうかね。少年の日の彼に会ったこともないのに、なんだか心に焼き付いて離れない、彼の笑顔、赤い飛行機 連なる緑の丘、駆ける少年たち。

ロレッタと彼の娘、イザベルはプラモが大好きで、部屋中に飛行機を吊る下げていたベジタリアンの女の子。その後RAFに入りちゃんとパイロットになり、BAに移ったあと、最年少記録をいろいろ作ったみたいです。(ロレッタの字があまりにも個性的な上に当然英語なので部分的に読み飛ばしてしまい正確な情報ではありませんが)

今年のクリスマスカードにきっとまた写真が入っていることでしょう。楽しみです。

自宅ではなぜかフランス語で会話していた親子で、日常の会話を聞いていた私が意味もわからずその口まねすると、二人は笑い転げていましたっけ。ちなみにロレッタのおじいさんは冒険家で何度目かの冒険で南米の奥地にいったままついに戻らなかった、その数々の冒険記録が出版されていて日本語の翻訳本も出ていました。うぅ、名前が出てこない・・・。

ここを覗いてくださる方なら、きっとそれぞれ、模型に思い出があるんじゃないかな〜。秋の夜長、ふと思い出すあのモデル まだあるかな〜 そうだ、フリマに行ってみたらみつかるかもしれない!  と、営業したりして。へへへ。(2月だけど) 


あっ!!!!また長くなりました。 しかも写真がない! ごめんなさい!

そろそろ歩いて帰ります。ではまた。 

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