ゴム動力 プラ子の日記  〜 第37回め〜  

 

平成16年

12月21日(火)  

この仕事をしながら、今頃こんなことを思い出すのもなんですが・・・ 私が子供の頃、父方の祖母は神戸の垂水駅のすぐ近くで、小さなプラモデル屋さんをやっていたんでした。小さいって並の小ささじゃないんですよ。まさにフリマのブースのサイズとでもいいましょうか、間口一間、お客さんの立つスペースは畳1畳分もなく、両側はキットの箱の山。奥にまるで番台のように一段高いお座敷が座布団1枚分ぐらいあって、そこにちょこんとお婆ちゃんが座っているわけです。

「OS模型だったかな?」 なんと、父まで店の名を忘れてしまったのには、がっくりですが。

静岡から神戸まではなかなか頻繁に行けるわけでもなく、たまに行けば必ずお婆ちゃんのお店にも行くのですが、子供でも「居場所がないなぁ」と覚えているぐらいですから、狭いお店だったのでしょう。

お婆ちゃんはいわゆる「超お嬢様」でしたが、戦争ですべて失ってしまって、あとは苦労の連続。お嬢様だった頃から、戦後に子連れでリヤカーを引くまでの話は、まるでドラマのように波瀾万丈、ここではとても語り尽くせません。

それでも、私にとっては、ピアノが上手で、お習字も上手、時間を忘れておはじき遊びにつきあってくれる大好きなお婆ちゃん。背中をシャンとのばして着物を着こなし、しゃなりしゃなりと歩く姿は憧れでした。

それこそ35年ぐらい前、垂水の家の狭くて薄暗い台所で、お婆ちゃんが、私の大好きな「ママプリン」を鍋で温めた牛乳に溶かし、ゆっくりとかき混ぜていた、その後ろ姿が強く印象に残っています。なぜそんなに印象に残ったのかといえば、そのママプリンは結局、冷蔵庫に入ったまま忘れられてしまい、たった一人忘れていなかった小さな私は、もしかしたら私の分じゃなかったのかと失意のどん底、だれにも言うにいえずに、後ろ髪をプリンに引かれながら、静岡に帰ったからなんですよね。・・・アホやなぁ。

私の記憶(デキゴトダマ)は、たいてい食べ物に直結して「どこでなにを食べたか」 そこから、芋づる式にいろんなことを思い出すシステムらしい。

今日、お婆ちゃんのことを思い出したのは、もちろん・・・妙にプリンが食べたくて。

最近は、グリルKURAMOTOさんのクリームブリュレに嵌ってますが、たまにはプリンだな〜。

みんなの好きなママプリン・・・私にとってはババプリン。たはは・・・

はっ!お婆ちゃんがそのプラモ店を閉店したときの荷物はどこだ?
一個も残らず売れたとは思えないぞ・・・。
もしや、どこぞにお宝キットが眠っているのでは? 

本家に電話してみよ〜っと。