ゴム動力 プラ子の日記  〜 第85回め〜  

 

平成17年5月20日(木曜日)

知り合いの山田氏が事務所に飛び込んできた。

「これこれ、これ国産ですよね!」

息を弾ませ開いたのは、モリナガ先生の35分の1迷宮物語の66頁。先日、面白い面白いとその本をめくって、結局「ちょっくら借りてくよ」とお持ち帰りになっていた。



66頁は塗料の話。その片隅に「ピラー」の塗料があり、そこにちっちゃく注釈で「これは舶来」と書いてあったのだ。(お持ちの方はすぐチェック!)


社長「わっはっはっは、国産も国産、神戸産。海岸通りの兄貴の家の地下でボクが作ってたんだからね」

P「え〜〜〜!ピラーっていう会社に就職したのかと思ってたんだけど。当然舶来品かと思ってました〜」

ここからが、ピラー物語である。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 

40年も前の話。

模型好きの青年はこう思った。・・・自分が欲しいのだから皆も欲しいに違いない。そうだ、模型用の塗料を作ろう!

知り合いの塗料屋さんにお願いし、一緒に研究を重ねついに完成。名前は「ピラー」。名前の由来は「ピラミッドカラー」だ。形はピラミッド型の三角形。ビニール製で上の部分を切り取って使う。長細い入れ物に▲▼▲▼▲ と、詰め合わせて売った。上々の滑り出しに青年はホッとした。

まずは原色ばかりのラインナップ、その後、ツヤ消しに挑み、陸軍機色、海軍機色、そして、飛行機の下部分を塗るための明灰(メイカイ)色を作ったころには、ビニール三角形から丸瓶、角瓶と変貌していったが、それはまた後の話だ。

山田氏はその話に頷きながら、「オレは鉄棒にするときに手に付ける粉をもらって混ぜてたぜ。あれを入れるとなんとかツヤ消しになるんだ」とおっしゃった。

ニーズに応えたツヤ消し塗料の発売は画期的だったらしい。目指していたのは完全なツヤ消しではなく、6割ツヤを残した半光沢だ。

青年は相当図々しかった。自信満々だったのだろう。

「ピラーの塗料を推薦します」という「推薦状」を勝手に作り、模型メーカーを回りキットの中に入れて貰えるようにお願いしたとういう。断られても「なんでこんな良い塗料が出来たのに、良いと言ってくれないのか。良いものは良いのだから、推薦してください!」と詰め寄った。・・・熱意の固まりだった。

実際、当時としては良い塗料だったのだろう。脅威に思ったところからの圧力もありお願いした模型メーカのなかにはその推薦状を入れてくれないところもあった。青年は模型店で箱を開けて入れてくれてるかどうかチェックしては、がっかり肩を落とした。

ところが、その勝手な「推薦状」を、ちゃんとキットに入れてくれたところがあった。・・・それが、「田宮」さんと、「LS」さんだ。 言い直そう。「田宮様」と「LS様」だ。遠く神戸の模型店で箱を開けたとき、「あ!入ってる!」 そのときの感激、そしてご恩は一生忘れられない。

その後、スプレー缶にも挑戦したが、神戸ではうまく塗装できるのに静岡まで移動し、田宮さんに見せに行くとうまく塗れず失敗をする。白くなってしまうのだ。湿度のせいか?とにかく「インチキスプレー」と笑われ、製品化にはこぎ着けられなかった。そのときの挫折感も忘れられないだろう。

そんなやりとりのご縁で青年は田宮模型に入社することになった。ど〜しても田宮さんで働きたかった。

明石から来た貧乏熱血青年の後見人になって下さったのは、零戦の色を決めるときにお世話になった関川栄一郎氏(現在航空評論家)だった。どんなに心強かったことか。

色というのはそれぞれ思い入れがあり難しい。特に零戦の色は聞く人全てが違う色を示すものだ。

関川氏は、「ボクは日焼けした色しかみてませんからね〜。」と、青年が持って行った零戦の色のサンプルを数日間窓に貼り、退色させて空の色と比べて、「これがボクの零戦の色です」と、決めて下さった。一番説得力のある色、それがピラーの零戦の色となった。



そんな話をしていたら、ちょうどタイミング良くモリナガ先生から電話が。用件が済むと、

 P 「ところで先生、ピラーって国産だったんですって!」

 モ 「え〜、舶来って習ったのに・・・結局舶来ってあったんだろうか???」

み〜んなピラーを舶来と思ってたに違いない。「国産」だってこと、これで間違えないだろうね。

・・・もう無いけど。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 

あれから40年、青年はおじいさんとなり、タミヤさんを引退した後、しばらくは隠居で木製模型船製作三昧の日々。その後一念発起してこの小さな会社を立ち上げた。・・・・ピラーの塗料は模型マニアの方が先日、瓶入り全色を快く譲って下さった。あの頃のキットに、もしかしたら「ピラーの塗料の推薦状」が入っているかも。フリマにあったとしたら、ニアミスだったんだな〜。    

ピラーの写真あります。                後日推薦状発掘されました。


その推薦状を見てピラーの塗料を買って下さった方々、その節はどうもありがとうございました。

我が社のルーツがそこにあったんですね〜。

それにしても、み〜んな違うことしながら、同じように40年を重ねちゃいましたね。

「人の縁」って大事だな〜って思う今日この頃ではないでしょうか?年齢的にも。

っというわけで、本日の日記は、中高年対応、大きな字でサービスしときます。(笑)

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