ゴム動力 プラ子の日記  〜 第11回め〜  

 

平成16年

11月9日(火) 


ぱんぱかぱ〜ん!

HPの表紙でお馴染み都内某所L社さんが、出展してくださることになりましたっ!あのお宝の山がついに私のものに!
・・・って、違うぞ、プラ子よ落ち着け!

正式発表をお待ち下さい。

あの先生やこの先生があんなことやこんなことも!っという話もまだ出来ません。

すみません。これも正式発表をお待ち下さい。

ところで

今日のお昼休み、「宮崎駿の雑想ノート」(大日本絵画発行)をめくっていたんですけどね。
その序文にまず驚かされました。替え歌ならぬ、「替え序文」を作りたくなっちゃいました。だれしも同じような思いで語れる「好き」なことが、それぞれあるものなんですね。

ただ、その先が、ね。宮崎駿さんはちゃんと表現できて、私はまったく表現できていない。昨日の日記でも書いたように、私の場合は自分だけが面白くて私の頭の中に留まったまま、ほとんどがいつの間にか消えてしまうんです。きっと大多数の人がそうなんでしょうねぇ。

表現できないと評価の対象外ですから、それで救われてるのかもしれません。評価されるのって苦手ですし。でも、くどいようですが、私、ちっちゃい頃からほんとに面白いこといっぱい考えてたんです。自分自身は何時間もその中に居られるほど面白いことなんです。他からみたら、ただポワ〜ッと「体育座り」してるだけでもね。

でもね、証拠がないんだなぁ。

例えば、洞窟の中に大きめの石一個でも見つけようものなら、そこから私の空想は始まってしまいます。「この石が食卓で・・、そこの凹みにろうそくを置く。そして水が流れていくあの岩の向こうが水洗トイレ。・・・」とね。

河原の背の高い草むらを見ても燃えます。秘密基地作りたくて。木漏れ日(草漏れ日?)の司令本部からはいくつも抜け道を作り見張り台まで続きます。

大きな木なんか見ちゃったらもう大変。どの枝の上にどんな小屋を建て、何をどう持ち込むか。考えるべき問題は山積です。

だから、いったいどれほどの数の隠れ家や、
どれほどの秘密基地なんかを
いろいろと頭の中で練り上げたかわからないんです。


え?興味ない? 面白くないですよね(笑)

やっぱり宮崎駿さんはすごいな。

今夜も私だけに面白いことを考えに、「天神の湯」に行ってきます。サウナで体育座り。

歩いて行って、帰りはバスかな。

では、お先に。

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