ゴム動力 プラ子の日記  〜 第28回め〜  

 

平成16年

12月7日(火)  

こんにちは。

今日はまず、第一弾として出展メーカー様をお知らせするべく、HOMEにバナーを作りました。エンドレスにしたのはもちろんより多く見せるためですが(バレバレか)、数えると15社ものメーカー様が出展してくださることになりました。ありがとうございます。今も検討中のメーカー様がいらっしゃいますので、決まり次第随時更新していきたいと思います。なぜメーカー様からかといえば、未だHP掲載の了解が取れていない方がいらっしゃるからで、すべて了解が取れたグループ「メーカー様」からお知らせしたということです。

今日は、友人のコンサート。

幼稚園からピアノを始めた私は、小学校2年生のころからは水害に遭った社宅から一人でバスに乗り、街の中の「すみや」までピアノ教室に通っていました。小学校2年生といえば、まだほんとにちっちゃくて、帰り道だんだん暗くなる街のバス停で、大人の人に囲まれてバスを待つ間、心細くてしくしく泣いたり、お金(当時バス代25円)を落として、またしくしく泣いたり、違うバスに乗ってしまってまたしくしく泣いたりしておりました。ピアノを弾くのは好きでしたが、強制されて弾きたくもない曲を練習するのはどうしても嫌いでなかなか進まず、厳しい先生に怒られながらレッスンを受けていました。

ある日、どうしてもレッスンに行きたくなくて、バス停に立ってもバスに乗れずにいた日がありました。レッスンバッグの中には月謝袋が入っていて、これを先生に渡さなくてはいけません。結局私はまたしくしく泣きながらバスに乗り、教室につくと、先生に見つからないようにピアノの近くに袋を投げるように置き、一目散に逃げ出しました。取り敢えず、大金(紙のお金=大金)から解放され、ホッとしました。

でも、当然ばれるのです。母に叱られ、先生に叱られ、またしくしく。いったいどうしてこんなにいやなのにピアノを続けていたんでしょうか。で、しばらくはおとなしく通うわけですが、やっぱりいやなものはいやで、また街へのバスに乗れない日がやってきてしまいました。その日も運悪く月謝の日。レッスンはいや。だって叱られる。月謝だけ置いてきたらまた叱られる。持って帰っても叱られる。使ってしまうには2年生の私の許容の範囲を超えた大金・・・。私はさんざん悩んで結局・・・ その月謝袋をお金ごと、バス停の近くの建物の脇の土に埋めてしまったんです。 

子供って本当に何をしでかすかわかりません。でもね、あのときの幼い自分のいっぱいいっぱいの気持ちは親の理解を超えたことだと思うんですよね。今自分の子供を見ていると、つい、すべてお見通しだぞ、って思えてしまいますけど、小さな心の中には、私の想像もつかないような新種の「デキゴトダマ」が生息しているに違いありません。それはそれで興味津々。

で、土に埋めてしまったあと、どんなにか叱られたでしょうに、あまり思い出せませんが、とにかく泣いてばかりの涙のピアノ教室物語。

習い事って一体なんでしょう。好きなことだったらよかったのに。いや、そもそも最初はピアノが大好きだったのに、叱られすぎて嫌いになってしまったんですね。でも、好きでないことをやったおかげで、結局逃れられないことは、どうせなら楽しんでしまおう、やらずにごまかしてもだめなんだよなって、大人になってから(遅い!)、わかりました。

高学年になってから先生が替わり、その先生とはうまくいっていたと思います。そしてピアノがまた楽しくなり始めたころ、中学の部活が忙しくなり、ピアノのレッスンをついに辞めることになってしまいました。今も自分で演奏するのはまるでダメですが、クラシックやジャズを鑑賞するのはとても好きです。時々サントリーホールにも足を運びます。

私が泣いていた時も、サボって遊びほうけていた時もずっと、一生懸命ピアノの練習を重ね、海外で修行して、ついにふるさとで今日コンサートをする友人を尊敬し、応援したい・・・というわけで、花束を抱えて行ってまいります。

当日券まだありますよ、6時半開演です!では!しゅわ!