ゴム動力 プラ子の日記 〜 第125回め 〜
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12月21日(水) 「丸」から 徒然なるままに いつものように、知り合いの山田氏が勢いよくドアを開けて入ってきた。 「これこれ、これだよね!」 ん?なにか新情報かな?! 前にもこんな事があったなぁ。 そう、あの瞬間からピラー物語が始まったんだったなぁ。 で、今日の新しい情報は、「古い」情報だった。 出展者広告の「株式会社MeC」さんの写真と同じものが、古い模型誌に載っていたのを見つけ、知らせてくれたのだ。 山田氏は模型少年がそのまま大きくなったような人で、模型誌を隅々まで読んでいたので当時のいろんなことを良く知っている。フリマの出展者広告の1枚の写真をみて、ピンポイントで39年前の雑誌の広告を思い出すとは、スゴすぎる・・・。 「お〜〜〜!ホントですね〜〜!当時の値段、9800円!」 さすがに茶色くなった雑誌の名前は、「丸」。 ・・・というわけで、Mecさ〜〜ん!見てますか〜〜!載ってますよぉ〜 (・o・) そういえば先日その山田氏にお借りしたのは二十数年前の「ホビージャパン誌」。 たまたま来社していた某出版社の社長様がそれをめくりながら、「あ!オレの描いた記事とイラストだ・・・」 若き日、どんなにか一生懸命、その記事を書いたことだろう〜。 昔の模型誌やタミヤニュースをめくっていると、なんだか胸が熱くなるよね。模型業界は出来たばかり。俺たちの未来はこれからだ!さぁいくぞ!という声が聞こえてくるような気がしてさ。刺激を受けるよ〜。パワーが貰える。
昭和42年といえば、私は4歳、明石から静岡に引っ越して1年が経ち、待望の社宅に入った頃だ。これでもう、外の怖いお便所に行かなくてもいいと思った。(笑) 後ろに写っている洗濯機の脱水がまだローラーで、カラー写真なんて贅沢の極みだったんだ。
その前に暮らしていたのは、倉庫の片隅の一部屋。まさにロゴマークをお願いしたときに描いて下さった時代背景というか、プラコの背景を描いたモリナガさんのイラストのような感じだった。
まだモリナガ先生とお会いしたばかりの去年のプラ子。よそゆき顔のフルメークだ。 ・・・見抜かれている気がしてならない。 ホントにすごいと思うんだ、モリナガ先生は。 あれ?なんで「丸」の話から、モリナガ先生の話になったんだっけ。丸つながりだから、ま、いっか。 モリナガ先生のHP:電脳マルモ工房 今日はつれづれなるままにゆるゆるで書いてみました。 まるでお茶を飲みながらおしゃべりしているような気分で。 あ、それから、前回の日記に、フィギュア教室の写真を追加でアップしました。 24日はナニワンミリテールに再び行ってきます。 「イブなのにぃ〜〜〜!」 ではでは。 |
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