ゴム動力 プラ子の日記  〜 第81回め〜  

 

平成17年5月7日(土曜日)

4月22日にオリオンモデルズさんでキャタピラに反応したあとのお話。(←オリオンモデルズさんでの写真追加してます。みてね♪)

三省堂の階下のレストランでランチをしたあと、モリナガ先生と別れ、私は噂に聞いた恐怖の(?)エレベーターに乗るべく、
地球堂さんに向かった。なんとなく昔懐かしいような商店街の中に、タミヤの看板発見、地球堂と書いてあった。

   

覚悟を決めて暗くて狭いビルの通路を入ってみた。ドキドキした。ビルの奥には緑色のエレベータが開いた状態で待機していた。まるで口をあけて気絶しているようだ。「起きてくれよ・・・。お客さんだよ〜。もしも〜し!」

ものすごい閉塞感を感じつつボタンを押すと、エレベータはガタピシャ体をねじるように上がって行った。そして、ガガガガドシ〜ンとかなり無理した様子で停まった。思わず声を掛けたくなる。「お疲れ様でした。無理させてごめんね♪」

飾り気の無いドアを開けると、ちょっと暗めの蛍光灯のなか、プラモデルが山積みになっていた。写ってないけどこの右側にも通路があるよ。

店長さんはすごくあったかい雰囲気の方

棚の下の方にはお取り置きのプラモが沢山おいてあった。その一部は「奥さん対策」らしい。いかに苦労して奥さんに見つからずに家にプラモを入れるか、お客さんは苦労している。いろいろなエピソードをお聞きして、ついつい笑った。 そんなに奥さんを怒らせたくないかなぁ?

たとえば、玄関を開ける前に窓の外の手すりにプラモを挟み、手ぶらで帰宅。あとでこっそり取り込む。2箱分を1箱に詰め変える。車のトランクの中に全部しまう、等々・・・  昔は大人がプラモを買うことが恥ずかしかったらしく、いつか子どもと一緒にプラモ屋さんに堂々と行ける世の中になってもらいたい・・・という願いすらあったのに(昔のタミヤニュースにその話が出ていたな〜)、今は、奥さん対策かぁ。いつの時代も苦労しますなぁ。

・・・そんなに怒る事ですか?奥さん!あなたのあのしまい込んだハンドバッグ、プラモのいくつ分のお値段でしたっけ?昨日旦那さんが吉野家に並んでるときに、アナタはどこのレストランでランチしてました?と代わりに問うてあげたいね。(笑) でも、そんなこと言ったら、100倍ぐらい言葉が返ってきそうだね。しかも結婚前の些細な口げんかの原因ぐらいまでさかのぼったりするのさ。くわばらくわばら・・・

地球堂さんを出るとまた、あのエレベーターが暗い廊下の向こうで口を開けて居眠りしてた。「お〜い、おはよう〜♪頼むよ〜」

ガタンガタンガタン・・・・ドシ〜ン

願いが通じ、無事、1階に。 たぶん、あのエレベーターは、生き物だ。






さて、その日に打ち合わせしたモリナガ先生から、ついにフリマのロゴマークが!

これからは、そのマークをどんどん使って広報活動をしていきたいと思います。まずはモリナガ先生がそのロゴを描くに当たっての打ち合わせから、イメージしてださったものをお見せしますね。このイメージからどんなものが出来上がったのか、ちょっと想像してみてください。ちなみに「プラ子」と「プラコ」は別人ですよ。へへへ。

「プラ子」が39年前に明石から静岡に引っ越してきたとき、父が勤めることになった会社の社長さんのお宅の横の倉庫の一角に、一部屋を作っていただき、社宅が出来上がるまでの一時期をそこで暮らしていたんだ。(当時はまだ社長さんじゃなかったかな。)そのときのちっちゃな部屋がこんな「プラコ」の部屋の雰囲気だったのかな〜って、別人のイメージと思いつつも、なんだか懐かしい。

3歳ぐらいだった私は裏でつながっているお隣の社長さんちへよく遊びにいったものだ。歳の近かった娘さんが2人おられ、私たち3人はとても仲良しでイタズラ三昧の日々。お隣とウチの間にあった大きな塀に描かれたカラフルな絵が大好きだったなぁ。

それから、うちの家の外にあったトイレ!いや、「お便所」と言うべきか。落ちるような気がして1人で行くのに、どんなに勇気がいったか、今でもあのときの緊張感がよみがえってくるよ。「1人で行けるもん」といったあとの冷や汗・・・。

済生会病院で注射をすると、泣かなかったときには必ず売店で手提げの箱のミルキーを買ってもらって、誇らしげにテクテク歩いて帰った。美味しいもののタメなら苦難にも耐える・・・私の基本がここにあるのか。 たはははは



こんなプラ子にも、ちっちゃかった頃があるのさ。    あなたにもね。 ・・・・ ...( = =) トオイメ


 こちらは、同じくモリナガ・ヨウ先生によるプラ子♪ ・・・実物もこうありたいものだ。

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