ゴム動力 プラ子の日記 〜 第149回 〜
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6月26日(月) ごく普通の日記 の続き ■その運動公園で、そろそろ戻ってくる2号をまっていると、なんだか見たような髪型の男性が歩いてきた。 子供から挨拶をされている。指導者のようだ。あれ・・・やっぱり見たことあるよなぁ・・・ぜったいそうだよな〜。 近づくほど、それは確信に代わり、すれ違うときに、思いきって声をかけてみた。 「S先生ですよね!セキタニです。30年前に○○中学の陸上でお世話になりました。」 「あ〜〜 久しぶりだねぇ!」 「覚えてらっしゃいます???」 「覚えてるよぉ〜。なんでココにいるの?」 「息子がお世話になっているんですよ」 本当に覚えてらっしゃったかどうかは定かではない。社交辞令ということもある。とにかく30年も先生をやっているのだ。覚え切れたものではないだろう。でも、相手の気持ちを思うと「覚えてないなぁ」とは言えないんじゃないかなぁ。 ■30年前、中一から中三までの夏、S先生は私の陸上を指導して下さった。当時は新婚の若い先生だった。今も若々しく髪型も変わらない。(というか、変わらなすぎだと思う!) いつもコロンの香りを漂わせる学校でたった一人のお洒落な先生だったので、廊下を歩きながら「あ、S先生が通ったあとだね」とクラスメートと話したものだ。 今は付けてないみたい? 今のブームに乗って(?)先生も「消臭」モードになっていた。 「あのとき、私リレーでバトン落としたんですよね。あの瞬間が今でも忘れられないんですよ・・・」 「そうだったねぇ。あれは、しかたなかったよね。腿に当たっちゃったんだよねぇ」 あれま、先生も覚えていらっしゃったのかぁ。 今となってみると、バトンを落とした原因が原因だけに、私を第一走から第2走にした作戦に采配ミスがあったのではと、S先生なりに当時の反省点などがあったのかもしれない。(もちろん無かったのかもしれないが)土曜日に先生に久しぶりに会って、ふと、そんなことを思った。 ちなみに、そんなことは30年間(正確に言えばあの”事件”から28年だ)、一度も私は考えたことがなかったことで、ひたすら自分が悪いと思っていた。もちろん今もそうだ。ただ、この歳になって、それぞれの立場での思いを想像するチカラが少し付いたような気がした一瞬だ。 当時私を「四つ目!」と呼んだ鬼教官、じゃなかった、熱血教師のM先生も既に退職されたとのこと。本当に30年になるんだなぁ・・・。お互いにお話している間にいろいろなことが芋づる式に思い出され、楽しい立ち話となった。 人と関わったことにより、相手の心に30年も40年も50年も消えること無く残るものがあるのだ。例えばS先生はリレーの結果について何も責めず、ただ暖かく見守ってくださっていた。言葉じゃなくて、その’温度’が今も心に残っている。 人間関係は大事にしよう。 8「うん。」 それから2号に、陸上の結果について、どうのこうのと言わないようにしよう。自分でちゃんと分かるんだから。 8「うん。そうしよう」 勉強については、別だよ。言っちゃうよ。 8「あはは・・・やっぱね」 |
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